2019年09月16日

はじまりのはなし

はじまりのはなし




すべてのはじまりは小4のときの辛く悲しい一年間にありました。

身体と心、両方への暴力を容赦なくふるい続けた教師。彼と過ごさざるを得なかったあの恐怖の一年間。

蹂躙という言葉がそのまま当てはまるような、悪夢のような一年間に、すべてのはじまりがありました。

山の中にある小さな学校の、複式学級の小さな教室で。

子どもだった僕らは、安心、自信、自由、つまり尊厳が奪われた、まさに子供(生け贄)状態の切ない日々を送っていました。

抗うことも、声を上げることもできませんでした。

「そこに立て。動くな。」

毎日、毎日、げんこつで頭を思いっきりぶん殴られました。

恫喝は常。

僕のすべての行動の動機は、恐怖からの逃避でしかありませんでした。

(彼は権威主義者でしたが、賞罰主義者ではありませんでした。罰しか、与えなかったからです。)

朝起きると、自分の体調が悪くないかをまず確認しました。

熱などあれば休むと言えるのに、と。

次に天気を気にしました。
大雨で休校にならないかと。

親を含めた他の大人たちに、声をあげることはしませんでした。

そんな発想は無かった、からです。

耐えなければならないことだ、と思った記憶もありませんが、助けを求めたり、逃げてよいことなんだと思った記憶もありません。

圧倒的な力を前にして、僕はただただ暗い気持ちで、時計の針が進むのをひたすら待つばかりの日々でした。

その翌年に、へき地教育の研究大会が愛知県で開かれることになっており、僕らの小さな学校は研究対象となるモデル校の一つだったので、その準備に先生方は追われていました。

中学校の分校が二階に同居しているユニークな学校だったこともあり、異年齢と小規模という特徴を生かした、とてもあたたかみのある学校づくりがされていたのですが(今思えばその在りようは多分にオランダのイエナプラン的でありました。)、研究大会の会場の一つに決まったことで、全国から集まる先生たちに「この学校をどう見せるか?」ということが在籍していた先生方の最も重要なミッションとなりました。

だから、僕らの教室で繰り広げられていた悪夢など、見逃されていたのかもしれません。

今思えば、担任はその研究大会の支度で生じるストレスを、僕らにぶつけていたようです。
もともと暴力的なのに、輪をかけて、力を振るいました。

振るいました、と書いて思い出しました。

罵倒、恫喝され、頭を殴られる度に、僕の心は斧のようなもので裂かれました。

彼は力という斧を容赦なく振るっていました。
冬の薪割りのように。

最初は裂かれていましたが、抗えない日々が続くと、次第にうまく割られることを考えるようになりました。

僕の心は薪のようでした。

割られるためにありました。

あるとき、小学校全員参加で写生大会が行われ、近くの小さな山に登って、景色を描きました。

僕は絵が大好きだったので、軽快に鉛筆を走らせてどんどん描きすすめ、色を塗りだしました。

すると担任が覗きこんできました。
覗きこんだと思ったらすぐに画板ごと取り上げて、水道の蛇口のところに持っていきました。

「あっ」

僕がのせた絵の具はすべて、水で洗い流されました。

彼は黒い絵の具を僕のパレットに捻り出すと、濡れた画用紙に筆を走らせました。

下書きを無視した、中国の水墨画のような絵が描かれました。

僕はただ黙ってそれを見つめていました。
だって、特別なことではなかったからです。

少し離れた場所から、大学を出たばかりの新人の先生が駆け寄ってきました。

彼女はたしかこんな風に叫びました。

「何て酷いことするんですか!!かわいそうに!!」

担任は彼女をギロリと睨みましたが、彼女は僕と担任の間に仁王立ちして、譲りません。

彼女もキッとした表情で返して、にらめっこみたいな時間が続きましたが、しばらくしたら担任は踵を返してどこかに行ってしまいました。

彼女からしたら僕らの担任は大先輩です。
彼は教頭の次ぐらいの力を持っていたようですから、上司だったかもしれません。

でも、僕の気持ちに寄り添ってくれて、代弁をしてくれました。

この瞬間、僕は身体がしびれたような感覚を覚えました。

こんなことってあるんだ、こんな大人がいるんだ、という驚愕の感覚だったのでしょう。

子たちの尊厳を守るため、子どもの人権について大人たちが学びあう場をつくる"ひゃくようばこ"という活動のルーツが、このエピソードにあります。

そして、もちろん、子どもの権利条約第12条にある子どもの意見表明権の保障(子どもアドボカシー)に注力した活動として7月に立ち上げた"こどものマイクけんきゅうかい"のルーツも。

はじまりは悲しいけれど。

こうしてみんなと一緒に、子たちをエンパワーメントする活動に携わることに繋がりました。

"ひゃくようばこ"もこどものマイクけんきゅうかい"も、僕自身のエンパワーメントのためにやるのではありません。
結果として、二次的、副次的に、そういう効果はもちろん得られますが、目指す目的は自分のためではありません。

特に"こどものマイクけんきゅうかい"は、強い思いで、妥協と矛盾無く、ヴィジョンに向かって進めていこうと思います。
それは"こどものマイクけんきゅうかい"を立ち上げることにした、もう一つのきっかけがそうさせるからです。

もう一つのきっかけは、つい最近でした。

今年の春。

二人の小学校6年生の女の子。

あの出来事が、はじまりなんです。

僕は彼女たちのこと、彼女たちの周りの人たちのこと、出来事、何にも知らないのです。

だけど。

あのあと、子どもの意見表明について、具体的な活動をしようと心に決めました。

ちょうど、子どもアドボカシーに関心を抱いていたので、すぐに結びつきました。

子たちの心に"近い距離"にいる大人があちこちにいることの大切さ、に真の意味で気づいたからです。

参考)子どもの権利条約
https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html





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